こんにちは!doggykushです!
突然ですが、これから日曜日は哲学的な話、人生とか幸せとかについて書いていこうと思います。
こういう系が苦手な人もいるかと思います。
実際こんなこと考えても何になるのかとか思うことでしょう。(笑)
でもたまには、この記事をみたときくらいは、是非考えてみて下さい。
きっと大事なことだと思うんですよね。(笑)
日曜日はこういう系の話をしていくので毎週のルーティンとしても使ってもらっても大丈夫です。
というよりもそういう感じに使ってみて下さい(笑)
※私はまだ死にたいなどは思っていません。まだまだ生きたいです。しかし、全てフラットに、論理的に解説しているので全ての人に読んで納得してもらえるはずです。
※また、こう言った話は前提として一個人の意見としてお聞きいただけると幸いです。
生きる、とは
今回のテーマは、「死」についてです。
しかし、死について考える前に生きる事について少し考察してみましょう。
生物学的な生きる
さて、まずは生物学的に考えてみましょう。
これは非常に論理的です。
調べてもパッとしたものがあまり出てきませんでした。
その中でもしっくり来るものは「成長するもの」という定義です。
なるほど。
これはしっくりきますね。
確かに動物も植物も成長しています。
しかしAI、人工知能も成長しているとも思いました。
ここは考え出したら止まらなくなりそうなのでいったん置いておきます。(笑)
ここでの結論としては、「生きるとは、成長しているもの」です。
そして生命活動を行っているものという事でしょう。
哲学的な生きる
生物学的の次は哲学的にも考察が必要です。
例えば、最近よく聞くこのワード。
「好きな事で生きていく」
哲学的にはこの状態が本当に生きているという事だとされます。
皆さんはどう思いますか?
私は確かに納得しました。
行きたくもない会社に死んだ目をしながら満員電車にゆられ出勤。
雀の涙ほどの給料を削って飲みに行きストレス発散。
これが社会人だと私はよく聞きます。
そして変なマルチ勧誘や情報商材屋は「こんな状態を変えるため!」とか言って勧誘してきます(笑)
ただ、私はその状態でも楽しかったら生きていると言っていいと思います。
仕事が楽しいのは最高ですが、そうじゃなくても、仕事仲間と少ない給料の中色々考えてやりくりしながら飲みにいくのって楽しくないですか?
私だけかもしれませんが。(笑)
好きなことで生きていかなくても楽しければ生きているということになると考えます。
つまり、つまらないような死んだ顔して生きている人は哲学的には死と同類ということです。
しかし生物学的に生きていればいつでも復活できますからそこで悩むのはナンセンスです。
死、とは
生きる事について話していましたが本日の本題はこちらです。
さて、死とはなんでしょうか。
生物学的には「生命活動の停止」なのでしょう。
ですからそれを根底に置いて話を進めていきます。
死は怖い?
さて、ほとんどの人がこれを考えると思います。
しかし、論理的に考えると一気に怖くなくなります。
死ぬのは痛いから
ではなぜ怖いと思ってしまうのか。
それは第一に、死ぬことは痛みを伴うことだからだと思います。
あまり考えたくありませんが、基本的にはそうかと思います。
ドラマとかのシーンでそう言った描写が書かれているからそうなんでしょう。
私はもちろん死んだ事はありませんから分かりません。
しかし痛みとは怖いものですし、死=痛い イメージがあるから怖いのだということが分かります。
まだ体験してないから
もう一つの理由としてまだ体験してないからということが挙げられます。
これも納得していただけるかと思います。
体験した事がないものは誰でも怖いものです。
なぜなら、何が起きるか分かりません。
だから初の舞台などは緊張するし、人によっては怖いのでしょう。
これに関しては至極真っ当な答えです。
でも、誰でもそうだし、今のところは全ての生きるものは必ず死ぬ運命にあるということを踏まえると、自ずと恐怖はなくなってくるはずです。
死はいけない?
では、死とはいけないことなのでしょうか?
もちろん、今回は論理的に解説していくことが狙いですのでそれを頭において考えてみて下さい。
迷惑がかかる
これはきっと最も多く出る回答だと思います。
しかしながら、これも様々な視点から見てみるといささか疑問です。
老衰、事故死、病死、自殺、他殺、その他どんな場合においても死んでしまった人は結果として生きていません。
つまりもうどうしようもないんです。
残された家族に迷惑がかかる、というのはあります。
しかし、本人はもう死んでいるのですから責任などいう余地もないのです。
こんな事を言うと最低なやつだ、と言う声も頂くかもしれません。
でも仕方ないんです。なんと言っても死んでしまったので。
死んでしまった本人にも迷惑だ、という声もあるかと思います。
しかし、生きているときはもちろん生きたいと思っていたはずですが、必ずそうだと言った確信に迫ることはできないです。
「死人に口無し」
この言葉がここでは最も正解に近いですね。
いずれ死ぬ
色々話してきましたが結局のところ全ての人類・生命は死の運命にあると言うことは確実です。
生まれてきたと言うのは同時に死ぬこともあると言うわけです。
私が高校生だった頃、国語の先生に言われた言葉が衝撃的で今でも覚えています。
「人間は生きているんじゃない、ゆっくり死んでいるんだよ」
こんな言葉をかけられました。
これヤバくないですか?
その頃からハッとさせられました。
生まれた瞬間から死に向かっている。
そう考えるとクヨクヨ悩んでいるのも無駄な気がしてきますよね。
まとめ
ここまで生きることと死ぬことを解説しました。
どうでしたか?
と言ってもそこまで深く掘り下げてはいませんが。
しかし普段こう言った事を考えない方にとっては新鮮な内容だったのではないでしょうか。
私の中では、
「死にたいと思っている人でも楽しい世界は必ずあるし自然に死ぬまで生きてみればいい」
と言うのが結論になります。
ちなみに私は死にたいと思った事はありません。
かと言って毎日が楽しいかと言ったらそうでない日ももちろんあります。
それでも必ず楽しい事ってあるんですよね。
世界を見れば70億人の人がいるんです。
その中の日本なんてたったの1億2000万人なんです。
世界の70分の1しかないんです。
言語の壁もありますがここまでテクノロジーが発達した世界においてそんなものはあまり関係なくなっています。
さらに言ってしまうと、日本の中でも全ての人に出会ったわけではありません。
日本には47都道府県ありますがそれぞれの地域に色々な人がいます。
それも分からずに楽しくないなんて言ってられない気がするんです。
なんだか変な話になってしまいすみません。(笑)
日曜日はコラム的な感じで進めていこうと思います。
ぜひたまにはこう言ったことも考えて見てくださいね!
今日も、ありがとうございました!